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当時のFAN CLUBの会報や雑誌の切り抜きのインタビュー等。
(TRANSCTION, INTERVIEW, MAGAZINE, etc....)

☆ローマン・ホリディーのFCは、初めのうちはCBS SONYの公認では無かったのですが、
初来日の後になって公認になりました。私は当時は学生でした。
会員番号は...NO.22です。
About 16th years ago, Roman Holliday Fan Club wasn't official.
But After first live in 1984, the club was CBS SONY Official.
In the day I was student. My mumber of Roman Holliday FC is 22.

 

☆良く、TVやRadioにリクエストをしました。
I wrote request in TV programs and Radio Stations.

 

☆会報NO.1より...Transacations of Roman Holliday in No.1
・ STEVEがALL RIGHTのモデルをした。
その時のパンツが気に入って、貰ったらしいです。
Steve act Model for ALL RIGHT just one time. He want to trousers.
After shot, He got that.


・ 初来日中によく食べていたのは、お寿司だって!
六本木のdiscoやTSUBAKI HOUSEに良く行った遊んでいたらしい。
When Roman Holliday 1st live, they went to Sushi bar,
Roppongi Disco's and Tsubaki House!


・初来日コンサート・リポート
From 1st live reports.

<東京LIVE> 1984年3月13日 Tokyo live in 13th March 1984
ついに我らのROMAN HOLLIDAY初来日コンサート、当日はマリンルックで決めた、女子中学
、高校生が多かった。開演時間を15分くらいを過ぎ場内が暗くなってくると早くも場内は皆
大騒ぎ。 SIMONのDRUMSのビートが鳴り響くとともに、メンバーが勢いよく飛び出してきて
...。(BUT証明が消えたり、ついたりで人が影しかわからない状態 )「こんばんわー!」
のSTEVEの声に、客席も「こんばんー!」ですっかり盛り上がったのす。赤字に黒の一番T-
シャツのSTEVE、他のメンバーもラフな格好だったけど、けっこう決まっていました。
 それにしても可笑しかったのSTEVEの「どうも」の連発とFANからもらったマリンハット
が異様に似合うの。独自のめちゃくちゃおどり!(ステップを踏みながぐるぐる回る)"DON'T
TRY TO STOP IT"では観客と一体!アンコールではファンに貰った番傘も持って出てきた、シ
ャーペンを回したり、lastのアンコール曲"MOTOR MANIA"では何度もサビの部分を繰り返し、
時が止まって欲しかった。お尻に汗かいてパンツの色が変わっていたのに気が付かなかったは、
STEVEだけ?

 

<大阪LIVE>1984年3月 Osaka live in 14th March 1984 (Steve Birthday!)
コンサート会場は熱気でムンムン!!!暗くなって、バンプロの河野さんが「今日はスティーブ
の誕生日です。」うれしくなってきました。そして開演!メンバーが次々と出てくる。場内はメ
ンバーの名前を叫ぶ声!最初からノリまくって!ジョン・Eが舞台から飛びおりたり、途中で
STEVEの誕生日を祝って、「HAPPY BIRTHDAY」を皆で大合唱!STEVEののテレ笑い...。
時々サイモンがびっくりする声を上げたり、ブライアンのソロがあったり、時間はあっという間
に過ぎて、ついにLAST SONG...同じ曲を2回演奏したけど、最高のLIVEだった。


☆会報NO.2より..Transacations of Roman Holliday in No.2

STEVEのインタビュー Steve Interview
     ・1st albumのなかのお気に入りの曲は"SERIOUS SITUATION"
この曲には思い出がある。
     ・リバーサイド・ホテルでのストレイキャットのギグで、ジョンを肩車して、
お客さんのど真ん中に落ちた。

☆会報NO.3より..Transacations of Roman Holliday in No.3

1995年の来日特集号でした。Special live report in 1985.

<Roman Hollidayと歌おう>10th March 1985
Singing with Roman Holliday

ラジオ日本「サウンド・プロセッサー」の企画で、FANと"Hear It In The Night"を一緒に歌って
レコーディング、そのレコードを全員にプレゼント!質問コーナーあり、写真撮影会ありのイベント
だったそうです。

 

<Roman Hollidayとボーリング大会>10th March 1985
Boring with Roman Holliday

TVKテレビ "ファンキートマト" のボーリング大会。これは、好きなメンバーとボーリングをすると
とい企画です。おしゃべり自由のファン大喜びの企画だったそうです。かなりお疲れのメンバー

 

<ファンキートマト>11th March 1985
Funky Tomato

ファンキートマト生出演、チャートの紹介でマンドナが出ると、STEVEはヒューヒューと声を出し、彼女はいい女だとか言ったとか!Duran Duranがかかると、STEVEとJONは機嫌が悪くなって!!!
口パクで"Hear It In The Night "&"One Foot Back In Your Door"演奏!

<Pop Bettey House 握手会>12th March 1985
Pop Bettey House Shaking hand party
SABホールで17:00からファンの集い。とにかく下は中学生からOL、男性ファンに来ていて...
年齢層の幅の広さに関心。質問コーナーあり、抽選会あり、写真のプレゼントあり....握手会
と言うよりKISS会ですね!管理人も参加しておりました。しっかりTVに写っております。この
ビデオはSTEVEにも差し上げました。その後STEVEはKISSのしすぎで唇が痛いって言ってたらし
いです。

 

<大阪LIVE>13th March 1985  厚生年金会館大ホール
Osaka live in Koseinenkin Big Hall

18:44に始まりました。初めはセカンドの曲が多く演奏して、しかし3階まで総立ちです。ステージ
にテープ、ball、presentが投げ込まれて...メンバーも嬉しい悲鳴をあげていました。途中から
ホーンセクションが紹介されて...ハプニングは前列の女の子にKISSしたり、楽屋から赤いカー
ネーションを持ってきてKISSして会場のファンに投げたり、アンプの上にのって歌ったり最高にノリの良いLIVEでした。

 

<NSビルでの握手会>14th March 1985
Shaking hand party in Tokyo NS bullding.

FANと写真を撮ったり、質問コーナーあり、プレゼントも山のように貰っていました。
管理人も参加した2度目の握手会です。

 

<東京LIVE>15th March 1985  渋谷公会堂
Tokyo live in Shibuya Ko
kaido
この日はハプニングあり、Brianのギターの調子が悪くて2回も交換してました。STEVEのジーンス
の股サケ事件!あまりにも激しい動きでさけてしまった様子!気になったのか途中でタオルを巻いて一瞬マジで困った様子でしたが、本人は笑ってごまかしていました。それでも最後まで着替えなかったのです。舞台に女の子4-5人が上げていました。

 

<東京LIVE>16th March 1985  渋谷公会堂
Tokyo live in Shibuya Kokaido

この日はLIVE IN TOKYOのビデオ撮りのあったせいかメンバーも昨日よりも緊張ぎみ舞台にも女の子を上げなかった。盛り上がったLIVEでした。特にアンコールが盛り上がりました。電気がついたのに誰も帰ろうとしない。もう片づけかけた時にメンバーがもう一度全員出てきて、THANK YOUって、来年また会おうぜってね!しかし彼らを二度と見る事はありませんでした。


 

1961年7月1日エイドリアン誕生 Adrian was born in 1st July 1961.

1962年3月14日スティーブ誕生 Steve was born in 14th March 1962.

1962年9月30日ブライアン誕生 Brian was born in 30th September 1962.

1963年3月4日ジョン誕生 Jon was born in 4th March in1963.

1963年1月11日サイモン誕生 Simon was born in 11th January 1963.

 

1969年ブライアン、7歳にして、父親の薦めもあり、ギターを習い始める。
In 1969, Brian start playing guitar. His father recommended.

1975年エイドリアン、14歳にして早くもグループ活動を始める。
Adrian was activeing group in 1975. He was just 14 years old.

1976年ブライアン、16歳で高校を中退。78年まで電気工見習いとして働く。
同時に「エクスプローラ-」ローカル・バンドでプレイする。
Brian left school in 1976. He was working electric job until 1978.
Same time, he played Explor.

1978年スティーブ、自動車修理工になるため高校中退。"ON THE AIR"
(ビック・カントリーのサイモン タウンゼントが結成したバンド )に参加。
Steve left school for Car repair jobs in 1978. And then he join "ON THE AIR".

1979年サイモン高校を中退する。そのご色んな仕事を転々とする。
自分のバンドを結成して、ローカル クラブでギグる
Simon left school in 1979. After left school, he often change his jobs.
He arganized own band, and then play local clubs.

1980年ジョン、電気工になるため、高校中退。エイドリアン、サセックス大学に音楽を学ぶために入学。
自分のバンド、"アトモスフェリック"&"ソーシャル・セクレタリ"というバンドを作って活躍。スティーブ・ブライアン、とある地方紙を"リード・ボーカル募集"の広告をみて応募する。リードボーカルにスティーブ決定。彼の参加により、コンサートの依頼が増えるようになる。
In 1980 Jon left school for electric job. Adrian enter Univercity of Susex for study Music.
Steve and Brian answer an advertisement for singer. Steve got lead vocal.
Brian got read guiar.

1980年スティーブの紹介でジョンが参加しギターだったが、ベースに持ち換える。ジョンの紹介で
エイドリアン参加。サイモンがグループのオーディションを受けて参加!
In 1980, Steve introduce to Jon to Band. He joint band. He changed bass guitar. Jon
introduce to Adrian to Band. He joint band. And Simon passed band's audition.

 

1981年 Roman Holliday誕生!
In 1981, Birth of Roman Holliday!!! year....

1982年 Jive Recordsとレコード契約。デビュー・シングル「スタン・バイ」リリース。

1983年 アメリカにおいては、ストレイキャッツの前座、ヨーロッパではカルチャークラブの
前座でツァーに参加。セカンド・アルバムのレコーディングの制作に入る。

1983年 サントリーレゼルブのCFに、DON'T TRY TO STOP ITが使われる。

1984年3月 初来日コンサート、東京、大阪でコンサート。そのあと音楽的にも変化が...
ホーンセクションをカットする。

1984年 シングル/セカンド・アルバムのFIRE ME UP発売!

1984年春 ヨーロッパ・ツァー

1984年10月21日 日本でシングル「涙のラスト・クルーズ」発売!

1984年11月21日 アルバム「涙のラスト・クルーズ」発表!

1985年3月 2度目の来日

その後イギリスでギグを...しかし仕事は忙しいが給料は上がらない...
ブライアン、エイドリアンが抜け... ROMAN HOLLIDAY解散する。

その後スティーブは元カルチャー・クラブのジョン・モスとともに「ハート・ビート・UK」に参加

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